大判例

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長野地方裁判所飯田支部 昭和32年(ワ)71号 判決

原告 塩沢一雄 外二名

被告 林泰一 外一名

主文

被告らは原告らに対し、別紙目録第一の建物(畳建具附)を返還せよ。

被告らは原告らに対し、別紙目録第二の土地を返還せよ。

被告泰一は原告らに対し、金九万四千円の支払と引換に、別紙目録第三の建物から退去し、その敷地を返還せよ。

原告らのその余の請求は棄却する。

訴訟費用はこれを五分して、その一を原告らの、その四を被告らの、それぞれ連帯負担とする。

事実

第一請求の趣旨

主文第一・二項同旨及び「被告泰一は原告らに対し、別紙目録第三の建物を収去し、その敷地を返還せよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言。

第二右に対する被告らの答弁

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求める。

第三原告らの事実主張

A  目録第一の建物について

一、目録第一の建物(以下甲建物という)は原告らほか二十数名の共有に属する川路鉱泉と称する浴場施設であるが、原告らほか二名は、共有者らの代表者として被告らに対し、昭和二二年一二月一五日、畳建具付賃料一ケ年金四千円、月割にして毎月分二五日支払、期間昭和三二年一二月一六日まで十年と定めて賃貸した。

二、昭和三二年一月二九日原告らは被告らに対して賃貸借契約更新拒絶の意思表示を甲建物に於ける共有者らの組合総会の席上口頭で通知した。その拒絶についての正当事由は次の通りである。

(イ) 甲建物は建築以来既に百年以上を経過し施設が時代に適しないばかりでなく、腐朽傾斜した部分を生じ、鉱泉旅館としての用をなす為には改築が絶対必要になつている。

(ロ) 甲建物を含む鉱泉の施設は古来から、共有者組合の代表者名義でする入札によつて選ばれた鉱泉旅館経営者に十年を一回の期間として賃貸し、期間終了毎に新規入札を行つて来たものであるが被告らに対しては、昭和九年中入札によつて賃貸せられ、期間中成立した調停によつて特に三ケ年の延長をみとめて、昭和二二年一二月一五日期間終了のところ、更に新規に本件十年の契約期間を認めたものである。

三、よつて原告らは被告らに対し甲建物の返還を求める。

B  目録第二の土地について

一、目録第二の五筆の土地(以下乙土地という)は甲建物の敷地と並んで甲建物と同様前記共有者らの共有に属し、甲建物と同時に同趣旨同期間の約定によつて甲建物と共に被告等に賃貸せられたものであり、その賃料は前記金四千円の内に含まれているものである。

二、乙土地は、甲建物の周辺地域として、風致を増す為に使用せられる土地であつて、その上に建物ないし工作物を存立せしめる為に賃貸せられたものでない。よつて乙土地については借地法の適用はない。

三、乙土地についての賃貸借契約は、甲建物のそれと同時に終了するから、原告らは被告らに対し、乙土地の返還を求める。

C  目録第三の建物及びその敷地について

一、目録第三の建物(以下丙建物という)の敷地は、乙土地と同様、前記共有者らの共有に属するが、昭和九年中甲建物について原、被告間に賃貸借が成立するに先立ち、その上に被告の前経営者によつて丙建物が建てられており被告泰一次これを前経営者から買い受け今日まで所有している。

二、右敷地については原告らと被告泰一との間に使用貸借がなされたものであり、その返還の時期は定めなく、かりに、定めがあるとすれば、甲建物の賃貸借契約終了と同時と定められたものである。

三、よつて原告らは、被告泰一に対し、右土地の共有権者による共有物管理行為としてその地上にある丙建物の収去を求め、使用貸借契約の終了を原因として右土地の返還を求める。

第四被告らの事実主張

D 請求原因事実の認否

Aの一は認める。Aの二の拒絶通知及び正当事由はいずれも否認する。但し(イ)の傾斜した部分あることは認める。(ロ)も事実関係としては認める。Bの一は認める。Bの二及び三は否認する。Cの一は認める。Cの二は否認する。

E 正当事由の主張に対して

一、(十年の期間について)

従来十年目毎に入札して来たことは認めるが、この期間は賃料の据置期間であつて、十年目毎にこれを改訂する為当事者の一方から増減の意思表示をすべきものであり、経営者を変更することを目的とするものではない。もしこれを目的とするというなら、借地借家法の精神に反する。

二、(改築の必要について)

1、甲建物はまだ朽廃したわけでなく、傾斜部分を復旧修理すれば、充分今後の使用に堪えるもので、改築の必要はない。修理の費用は金四万五千余円に過ぎぬ。

2、この修理は既に十年前から必要が認められたので、被告は度々その旨原告側に要求し、又原告側としても修理を要する事情は熟知していたにかかわらず、修理の義務ある賃貸人としての責任を果さず、今日に至つて改築の必要を云々するのは、信義誠実の原則に反し、権利の濫用である。

3、かりに改築の必要があるとしても、それは甲建物の内、本館二階に過ぎぬから、甲建物全体の賃貸借終了の正当事由となるものではない。甲建物の新館に三室、帳場二階に二室、後記丙建物に四室、以上合計九室を客室としてでも鉱泉旅館営業には差支えがなく、本館階下は現在も自家用として使用し、営業には無関係なのである。

4、又、施設が時代に合わぬからということを改築の理由としているが、交通に地の利を得ず、眺望も悪く、湯質も優れぬ本鉱泉は、徒らに巨費を投じて新式設備をなすよりも、閑静な四囲を生かして今後の経営を図るべきで、全面的改築の必要はない。

5、かりに全面的改築を必要とするとしても、単に改築の計画あるだけでは正当事由として不充分であつて、具体的な計画たるを要する。

6、建物が朽廃したのでない限り全面的改築は共有物の処分行為であるから、全共有者の同意を要するところ、原告らにはこれが欠けている。

三、(被告側の事情)

被告泰一は昭和九年鉱泉経営者となつた時、一家を挙げて転居したが、昭和一〇年二月二三日丙建物を前主松島金市から買い受けた際、転居前住んでいた所有家屋を他へ売却してその代金を以て購入代金に当てたので、被告らとしては、現住の甲丙建物以外には行くべき所がない。かま焚人夫一名共合計一家七人の生活をこの鉱泉旅館の経営で支えているのである。

F 借地法適用について

本件賃貸借契約は甲建物だけでなく、「下伊那郡川路村字初沢五千七百八十五番外四筆ノ土地」(契約書)をも契約の目的物としているが、これには乙土地及び甲丙建物の敷地が含まれている。丙建物は甲建物に附随するものであるから、丙建物の敷地は、甲建物、その敷地及びその周辺の乙地を一括する本件賃貸借契約の目的不動産に対して従物の関係にある。よつて、丁土地に関する原、被告間の法律関係は使用貸借でなく賃貸借であり、しかして右土地上には丙建物が存立しているのであるから、右土地は乙土地と一体になつて借地法の適用を受けるべきものである。

G 予備的主張

一、(必要費の償還請求)

被告泰一は、本件土地家屋を明け渡すべき場合には、予備的に本件土地家屋に対する原告らの負担すべき昭和二六年度から昭和三二年度までの固定資産税額総計金一万七千八百四十円の立替支払金につき必要費として償還請求権を行使する。

二、(造作買取請求権の行使)

被告泰一は、甲建物を明け渡すべき場合には、予備的に、昭和三二年八月、有限会社徳力電器商会に請け負わせて浴場に取り付けた1/8馬力モーターによる吸上給水ポンプ施設(その代金二万一千円)、又昭和二九年一〇月、今村鉄工所に請け負わせて取り付けた上り湯施設(その代金二万五千二百五十円)、この二つの造作を時価を以て買い取るべきことを請求する。

三、(建物買取請求権の行使)

被告泰一は、賃貸借契約が更新せられず、乙土地及び丙建物敷地を明け渡すべき場合には、予備的に、右敷地上の同被告所有の丙建物を時価を以て買い取るべきことを請求し、この代金につき、同時履行の抗弁と留置権の抗弁とを主張する。

第五証拠関係

一  原告らの立証

甲第一号証、第二号証の一二、第三号証ないし第八号証の提出並びに証人安藤宇太郎、中島治朗(第一回、第二回)、中島清の各証言、原告塩沢一雄の本人訊問の結果及び現場検証の結果の各援用。

二  被告らの立証

乙第一号証ないし第九号証、第一〇号証の一・二の提出並びに証人早川武雄の証言、被告林泰一の本人訊問の結果及び鑑定の結果の各援用。

三  書証たる文書の成立についての陳述

原告――乙第三号証ないし第五号証及び第七号証は成立を認める。その他の乙号各証の成立は知らない。

被告――甲第二号各証、第七号証及び第八号証の成立は知らない。その他の甲号各証の成立は認める。

理由

一、本件各請求の当否を判断するに先立ち、まずその前提となる本件鉱泉についての従来の状況を認定しよう。中島治朗(第一回)、中島清、安藤彌太郎の各証言及び原告塩沢一雄供述並びにこれによつて成立を認める甲第二号証を総合すると、少くとも百数十年前から本件鉱泉は川路村の塩沢及び中島一統の共有に属し、共有物として管理せられて来たものであること、一統は初沢組と名付けられる組合を結成し、従来、分家による増加以外は代々の家督相続によつて構成を維持して来、現在の組合員は三十一名であること、甲建物の内、本館を含む部分は数十年前、他から移築した建物で、用材は既に百年以上経過していること、明治二六年即ち六十五年前からの管理の次第は決議録(甲第二号証)によつて明らかになつており、これによると、代表者五名が役員となり、四年目毎に選挙され(但し続任を妨げないので、実際上は家格により代表者五名が固定している様である。)役員によつて管理されるが、現在の役員は、原告ら三名(二名は死亡ないし臥床により失格)であること、従来の鉱泉管理経営の実際は組合員の一人が直接これに当るのでなく、十年目毎に広告入札によつて他から経営の適任者を選び、これに甲建物を賃貸する形式をとつて十年を一期として経営させて来たこと、かくして川路鉱泉として世に知られ、以前には相当の泊り客ある鉱泉旅館であつたことなどが認められる。

二、さて昭和九年から被告泰一が経営者となつたことは当事者間に争がなく、この時も入札によつたこと、その期限はやはり十年間であつたこと、然るに期間満了前に被告泰一が調停を申し立て、期限が三年間延長されたが、その満了の時、代田弁護士の斡旋により、形式的には一応入札の形として再び同被告を経営者に選ぶに至つたのであつたことなどを、中島治朗(第一回)証言と被告泰一の供述から知ることができる(期限の点は争がない)。そして原告ら外二名と被告らとの間に、昭和二二年一二月一五日付で甲建物(畳建具附)及び乙土地――更に丙建物敷地も含まれるか否かは暫く措いて――につき賃料年額金四千円、月割払、期間昭和三二年一二月一六日まで十年とする賃貸借契約が成立したことは、当事者間に争がない。成立に争ない甲第一号証によれば、賃貸人は原告ら外二名、賃借人は被告ら二名外一名であるが、前者の二名、後者の一名は、契約関係から脱落したことが中島治朗(第一回)証言、原告塩沢一雄供述によつて認められるし、現在において契約の両当事者が原告ら三名と被告ら二名となつていることを被告らは明らかに争わない。よつて以下の認定についても、これを基礎とする。

三、まず、甲建物に関する請求について判断する。

〈1〉  中島治朗(第一回)証言及び原告塩沢一雄供述並びに前記甲第二号証によれば、昭和三二年一月二九日原告らから被告らに対し口頭で契約更新拒絶の意思表示をしたことが認められる。これは契約期間満了前六月ないし一年の期間内に拒絶をしたことになるから、賃貸人たる原告らの側に借家法にいわゆる正当の事由があるかどうかが次の問題となる。

〈2〉  正当事由として原告の主張するところは、「改築の必要」と「十年毎の更新」とである。後者が既に数十年来の慣例となつていたことは前記第一節に認定したとおりであるから、以下前者について考察しよう。本館の用材の古いことは先に見たところであり、その二階に傾斜部分の存することは被告らも認めている。ただ被告らは修理のみで足り、改築の必要はないと主張し、その費用は金四万五千円に過ぎぬとて、大工早川武雄の見積書(同人の証言によつて成立を認める乙第六号証)を提出するのである。検証の結果によると、本館二階の破損は相当著しい程度に達しているが、右書証と早川武雄証言とを参酌すれば、改築でなく、修繕のみでも、居住に差支えない状態に復し得ることは認めて良いであろう。問題は、この建物が単なる居宅ではないという点にある。個人の居住のみに供する借家であれば、この場合改築を云々することは恐らく妥当ではあるまい。然しながら、旅館として使用せられる建物については、客を誘引するに適した一定の水準が要求せらるべき筋合であつて、施設が旧式になれば、かりに居住や宿泊それ自体には何の支障もない場合であつても、なお改築を必要とすることがある筈である。まして、その建物が相当破損して来た場合、修理よりもむしろ建て直しによつて一挙に新式の宿泊施設ある旅館とする道を選ぶとしても、旅館の建物所有者の立場としては無理もないことといわねばならない。勿論、この建物が賃借人の居住の用にも供せられている場合、正当事由の存否を判断するに当つては居住者の立場も無視せられるべきでないが、結論はこの両者の利益の比較後に下さるべきにせよ、少くとも改築の必要性ということが本件の場合に正当事由の問題となり得ることはこれを認めなければならず、「朽廃していないから」という理由で改築の必要性を否定し、正当事由の存在を争う被告らの主張はこの理を見失つたものといわざるを得ない。

〈3〉  被告らは修理の必要は十年前から存したし、修理は賃貸人たる原告らの義務でもあるから、今日に至つて改築の必要を言うのは信義誠実の原則に反し、権利の濫用であると主張するが、被告泰一の供述によるも十年前には今日の様な著るしい破損ではなかつたことが認められるし、かりに原告が今まで修理を重ねて来ていたとしても、前段に判示した様な理由での根本的改築の必要性を減殺し得るものとは言えない。従つて原告らの言分を以て信義誠実の原則に反し、権利の濫用であるとする被告らの主張は失当である。

〈4〉  被告らはまた、改築の必要は本館に存すに止まり、新館その他で旅館営業は継続しうると論じている。中島治朗(第一回)証言によれば新館は昭和一五・六年の建築にかかり、検証の結果によるも、本館の様な著るしい破損はない。然し手入の不充分を思わせる箇所は至るところに認められるし、本館を取り毀さずにおいて、しかも宿泊に用いることをせずに旅館として営業を続けていくということは、検証の結果明らかな各建物の位置関係から考えても得策とは考えられない。

〈5〉  被告らは更に施設を新らしくすること自体に懐疑的な議論を試みているが、現場の状況その他から必ずしも肯認できぬばかりでなく、各証人の証言から認められる今日の不況(検証当日の印象からも現在泊り客の少い状態が窺い知れる。)がある以上、かりに改築の為の投資が短期に利潤を回収し得るか否か予見し難いにもせよ、それ故に改築の必要性なしとするのは強弁であり、客を呼ぶ為には改築の必要がありとする所有者(初沢組合員)側の判断を不可とすることはできまい。

〈6〉  ただ実際に改築の意向もないのに、改築を理由として被告らに明渡を迫るとすれば、その非は言うをまたない。正当事由の問題とする以上、その改築の計画は、ある程度具体化するを要し、逆にその具体化によつてこの必要性が正当事由として強められ、裏付けられるとも言えよう。そして被告らは正にこの点を衝いて、改築計画に具体性なしと論じているのである。証拠を按じると、中島治朗(第一回、第二回)証言及びその第二回証言によつて成立を認める甲第八号証によれば、組合員一同被告らの明渡を待つて直ちに取毀と新築にとりかかる意向であり、設計書を準備し、資金繰りにも着手していることが認められる。従つて改築計画は相当具体化していると言えるから、被告らのこの点の主張も理由がない。

〈7〉  被告らは、最後に、全面的改築は共有物の処分行為として、全共有者の同意を要するのに、これがないと論じるが、右両証言及び右書証によつて、この同意あることは充分に認められるから、この点の主張も採用し得ない。

〈8〉  そして、検証の結果認められる建物全体の印象、外観、細部の状況などを右に認定した泊り客の状態及び組合員の意向などと総合すると、当裁判所としても、本件建物は旅館としては改築の必要ありとの見解に左担せざるを得ない。

〈9〉  ただ先にも説いた様に、居住者の利益もまた考慮しなければならない。被告らの事情を見るに、成立に争ない甲第三号証及び乙第三・四・五号証並びに被告泰一の供述を総合すると、被告泰一は六十五才であるが妻の被告志づゑ他四人の家族を抱え、更に先代の経営当時から引き続いて勤務しているかま焚きの人夫(七十一才)の面倒も見ており、計七人がこの旅館経営で衣食していること、被告ら夫婦にはもと里美という婿養子があり、現に本件賃貸契約証書(甲第一号証)にも、被告らのほか同人も加えて、借主として三人が列記されているが、後に不仲になつて、昭和三〇年離縁成立し、老境の被告ら夫婦は頼る人がないこと、昭和九年本件家屋に入居して後、被告泰一が購入した丙建物以外には被告ら所有の家屋はないこと、もし甲建物から追い出され更に丙建物にも住めなくなるとすれば、一家は路頭に迷うほかないことなどが認められる。然しながら右甲第三号証及び被告泰一供述に、安藤彌太郎証言及び原告塩沢一雄供述を考え合せると、被告泰一はもと二軒の家をもつており、その中の一軒は前記丙建物購入の為取り毀し売却したが、他の一軒は建坪十坪程で、二十八坪の宅地上に最近まで所有していたこと、後者は昭和三二年被告泰一から本件賃貸借について調停を申し立てた頃取り毀したもので、その用材は現在本件土地上に集積保管されていること、被告泰一は現に宅地二筆を所有していることなどが認められる。後者の取毀理由を被告泰一自身は家がゆがんだからだと供述しているが、何故修理せずにいきなり毀したか必らずしも説明が充分でなく、むしろその時期から見て、原告らが「被告側が背水の陣を布したと思つた」と言う(原告塩沢一雄供述)のが正鵠を得た観察であろう。

〈10〉  以上の被告側の「住」の状態を見ると、成程気の毒な一面は認められるけれども、養子離縁は家庭内の事情で他人を怨むことができぬ筋合であるし、丙建物以外に住む家が見付からぬということも、右の様に自ら作り出した状態であるから、このことを訴訟における被告側の有利な条件として数えるのでは公正妥当を欠く面がある様に思われる。なお、かま焚きの老人の身柄については、民生委員である原告塩沢一雄がその落付先を世話できるという安藤彌太郎証言を信用して良いであろう。

〈11〉  更に賃貸期限十年間の問題もある。被告らはこれは賃貸料据置期間であり、経営者変更を目的としないと主張しているけれども、冒頭第一節に認定した本件鉱泉の由来から考えても、本件賃貸借は単なる土地建物の賃貸借でなく、組合員に属する鉱泉の経営権そのものが、その施設即ち本件土地建物と共に貸し附けられていると見るべきものであるから、賃貸人側としては、通常の借物賃貸借における以上に賃借人即ち鉱泉経営者の個性には利害を感じて当然である。十年の期間はこの点で組合員の経営者への評価の為に存するのであつて、単なる賃貸料増減の期間とのみ見得ぬばかりでなく、その結論が経営者の力量への否定的評価に傾いたとすれば、これは期間更新を拒絶する強力な理由となるべきである。表面は建物の賃貸借である本件の場合にも、背後にあるこの関係は無視できず、正当事由判断の一資料とするべきものである。被告らが先に三年間の延長と再契約(事実上は更新)とを得たことはこの理を否定するに足りない。

〈12〉  以上各段考察の結論を総合して原告らの更新拒絶は正当の事由があると認められる。よつて甲建物についての賃貸借は終了したものであり、被告らは賃貸人たる原告らに対しこれを明け渡し返還する義務を負うから、原告らのこの請求は理由がある。

四、次に乙土地に対する請求について判断する。

〈1〉  乙土地が甲建物と同時に同趣旨同期間の約定によつて原告らから被告らに賃貸せられ、その賃料は甲建物と一緒に先の四千円中に含まれていることについては当事者間に争がない。(契約当事者の点については第二節を引用する)。

〈2〉  原告らは乙土地について借地法の適用がないと主張するに対し、被告らは乙土地は丙建物敷地と一体になつて同法の適用があると争つている。中島治朗(第一回)証言によると甲建物敷地は初沢五七八七番イ号・五七八八番・五七八五番であり、その周辺に更に五七八七番ロ号・同番ハ号があつて合せて本件乙土地の五筆となることが認められるが、被告泰一の供述によつて成立を認める乙第二号証によれば、丙建物敷地もまた初沢五七八七番イ号地籍であり、更に検証の結果明らかな丙建物が、甲建物の帳場と新館との中間に建てられている位置関係からも、丙建物敷地と甲建物敷地とが一塊の土地を形成していることが認められる。然しながら、右の各建物は山間の谷間の溪流に面する一方の斜面に三棟が三段の高低になつて建てられていること、その周辺は樹木の生立する峡谷の地勢であることも検証の結果から優に認められるところであり、このことと、甲第一号証(本件賃貸契約書)の目的建物の表示の前に「……初沢五千七百八拾五番外四筆ノ土地」とのみ記載してあること及び中島治朗(第一回)証言とを考え合せると、この賃貸借契約は、鉱泉旅館施設を主たる目的物とし、土地は旅館の周辺において、その風致を増す為に附随的に契約目的物とせられたものであることが認められるのであつて、表示は包括的であるが本旨は周辺地域にあり、もとより建物所有を目的とする土地の賃貸借と同視すべきものではない。乙土地は、この五筆の土地から甲丙建物敷地を除いた部分に当るが、これは即ち右の周辺地域であつて、甲丙両建物敷地とは、これを――観念的にはもとより外見上も――区分することが可能であり、前記の甲丙両建物敷地が一塊の土地となつている事実は乙土地即ち周辺地域と丙建物敷地の一体性を来すものではない。従つて、この一体性を前提にして、乙土地に借地法を適用せしめんとする被告らの主張はこれを採用することができない。

〈3〉  そうすると乙土地の賃貸借は民法の原則に従つて規制せられるに止まるから、十年の約定期間は有効であり、前記更新拒絶の申入はこの方についてもまた効力を発生したものと見るべきである。よつて賃貸借は期間満了と共に終了したといわなくてはならず、被告らは賃貸人たる原告らにこれを返還する義務を負うから、原告らのこの請求も理由がある。

五、被告第一の予備的主張について(その一)

被告泰一は前記両請求の認容せられる場合に備えて、予備的に必要費償還請求及び造作買取請求をしている。

〈1〉  まず必要費について判断する。成立に争ない乙第七号証及び被告泰一の供述によれば、昭和二六年度ないし同三二年度において、納税義務借初沢の湯組合に対する甲建物の固定資産税合計金一万七千余円の支払の事実が認められる。然しながら成立に争ない甲第四・五・六号証並びに原告塩沢一雄の供述及びこれによつて成立を認める甲第七号証を総合すれば、組合員から賃料年額金四千円は安過ぎるという意見が出て、被告泰一と話し合つた結果、昭和二六年以降は修繕費と税金の支払は被告側で負担し、これを家賃の増額分に充てるという約束ができ、以来、被告泰一から費目及び支出金を記載して提出させて、これを初沢組合の本件鉱泉に関する経理の上では賃料収入の扱いとして決算して来たことが認められ、裁判所に顕著な終戦後昭和二〇年代における諸物価の急激な上騰及び甲第三号証によつて認められる先の調停においては、被告泰一自身もこのことを認めていた事実を更に考え合せれば、この被告泰一の支払は一時的な立替でなく、賃料額を昭和二二年当時のまま維持する代りに、前記支出を終局的に自己の計算において負担する趣旨であつたと見るのが相当である。よつてこの主張は採用しない。

〈2〉  次に造作買取請求について判断する。検証の結果並びに被告泰一の供述及びこれによつて成立を認める乙第八・九号証によれば、浴場には揚水用のモーター附ポンプが設備されているが、昭和三二年これを設備するに金二万一千円を要したこと、湯沸かし、煙道などの浴場附属施設につき、昭和二九年金二万五千余円を要したことが認められる。被告はこれらの造作につき時価を以つて買い取るべきことを請求しているが、かかる造作については建物に附加したことにつき賃貸人の同意を必要とするところ、これを認めるに足る証拠がない。従つて、(建物に附合したと見られる後者について、不当利得返還の問題を生ずることは格別、造作買取請求の問題としては)被告の主張はこれを採用するに由ない。

六、最後に丙建物及びその敷地に関する請求について

〈1〉  丙建物が被告泰一の所有に属すること、昭和九年の入居後同被告が前主松島金市からこれを買い受けたことは当事者間に争いがない。問題は右建物の敷地について、原被告間に使用賃貸借が成立したとする原告主張の当否である。被告は丙建物が甲建物に附随することから敷衝して、前者の敷地は後者の敷地及びその周辺の乙土地に対して従物の関係にあると論じている。案ずるに検証の結果認められる丙建物の甲建物に対する関係は、後者中の帳場と新館とを継ぐ渡廊下に接して中間に独立の一棟を横たえたことになつており、右の渡廊下との連接部分以外は甲建物とは接続関係はないが、建物利用の関係においては甲建物各棟と一体をなしていることを認めるに足る。丙建物は、乙二号証(登記済権利証)で認められる様に独立不動産ではあるが、利用の主体が甲建物にあることから言えば、これを甲建物に従として附随する建物と見て差支えはない。然しながら、利用上のこの主従関係は、丙建物の、従つてその敷地の利用関係が甲建物及びその周辺の乙土地のそれと運命を同じくするという結論に導くのみであつて、それ以上に出ない。この敷地が乙土地と一体をなしているわけでないことは、先に(第四節〈2〉)見たところであるし、又、被告らの所論に従えば、この敷地――これを乙土地の従物であるとしながら――の上の丙建物の存在が乙土地をも借地法の適用ある借地と化するというのであつて、――その結果十年の賃借期間が許されぬことになる点を考えても、――主物の運命を従物の性質に従属させるという奇妙な結果となる。結局丙建物敷地使用の権原を乙土地のそれと同視しようとする被告らの主張は、これを採用することができない。

〈2〉  そうすると、丙建物敷地については、それのみで独立に使用の権原が与えられなくてはならぬことになる。甲第一号証における五筆の土地の記載は前記の様に大ざつぱであつて、右上地を含む様にも解せないではないが、先に判示(第四節〈2〉)した様に、その本旨は建物周辺の乙土地を意味するに在つたのであるから、甲建物についての賃料支払は丙建物敷地の法的性質を認定するについての証拠とはできず、その他被告泰一が丙建物につき敷地使用の対価として何らかの出捐をしたことを認めるべき証拠は何もない。従つてこれは使用貸借であつたと見るほかなく、被告泰一の建物所有権取得の時において土地の共有者である初沢組合員(このことは争がない。)の代表者である委員(従つて現在では原告ら三名、前記第一節参照)との間に黙示的に使用賃借の約定がなされたと見るのが相当である。そして丙建物は(独立の建物であるとは言え)その位置から見て、鉱泉旅館経営者によつて使用せられるほかないから、その敷地使用に対して対価を徴せぬという原告側の態度は、(丙建物の前主がした様に経営者の交替と共に新経営者に譲渡すれば別として)所有者が経営者であることを止めた場合には当然契約を終了せしめるつもりであつたことを推測させるものであり、換言すれば、甲建物についての賃貸借契約の終了時が丙建物敷地の使用貸借契約の終了時と暗黙に合意されていたことを推認させるものである。従つて、この使用貸借は、昭和三二年一二月三一日を以て終了したといわなければならず、以後被告泰一は丙建物を収去してその敷地を明渡し返還すべき義務を負つたものである。

七、被告泰一の予備的主張について(その二)

〈1〉  ところで被告泰一は丙建物について買取請求権を行使している。前示の通りその敷地について賃貸借が成立していないのであるから、借地法をそのまま適用することはできない。然しながら、丙建物に対する原告らの態度が初めから邪魔物扱いであつたとすれば、被告泰一は、――契約終了時に取り毀さねばならぬものと知りながら――果して前主から丙建物を購入するの挙に出でたかどうか疑問であつて、この点、丙建物を物置と思い、当然終いには取り毀して持つてゆくと思つたという原告塩沢一雄の供述は信用できず、(検証の結果によるも物置とは認められない。)、むしろ前記の事実関係からは、購入当時には契約終了時に、次の経営主に譲るか組合側で引き取るかすることが少くとも暗黙には了解されていたものと推認するのが相当である。この前提の下に、現在の借地法第四条第二項の精神が――昭和一六年の改正前において土地所有者への契約継続強制に主眼があつたのに対し、改正後はこの役割を同条第一項に譲つて――地上に存在する建物の撤収がもたらす国家経済上の不利益の救済を主眼としていることなどを考え合せると、本件は、使用貸借による土地使用ではあるが、地上建物の買取請求については、借地法の精神を類推するのが相当な場合であると考えられる。

〈2〉  進んで建物の時価を見るに、鑑定の結果、取り毀す場合金四万五千五百円、然らざる場合金九万四千円という数字が鑑定人市瀬清重によつて示されている。甲建物に改築の必要がある以上、丙建物の取り毀しも(その位置から見て)時期の問題であると考えられるが、買取請求権の性質から、取毀価格を以て建物代金を算定するのは妥当を欠くと言わざるを得ないから、前者を排斥し、検証の結果を合せ、後者を相当と認めて採用する。

〈3〉  そこで本訴における買取請求権行使の結果、原告らは(土地共有者らの一部であるが、この関係では全員を代表すると見てよい。)、金九万四千円で丙建物を買受け、右代金の支払義務を負うに至つたのであり、右所有権の取得により、原告らの(土地共有権に基く)丙建物の収去を求める権利は消滅したから、請求中その収去を求める部分は理由がない。

〈4〉  然しながら丙建物所有権の移転は敷地に対する占有権の移転を包含するものではないから、被告泰一は右建物の占有によつて敷地を占有していることになる。よつて同被告は建物から退去することによつて土地を明け渡し返還する義務がある。そしてこの退去義務は、前記買取請求による売買によつて生じたもので原告らの両被告に対する前記代金の支払義務と同時履行の関係にあることは明らかであり、被告の同時履行の抗弁権行使は理由がある。ただこの抗弁権は原告らの代金支払により消滅するから、この支払をまつて、丙建物からの被告泰一の退去による敷地返還請求が正当となる。従つて、この請求は原告が右代金の支払をなすことの条件を附した限度において理由がある。

八、結論

以上を総合し、原告の請求中甲建物及び乙土地の返還を認める部分は全部正当として認容し、被告泰一に対し丙建物の収去を求める部分は失当として棄却し、建物敷地の返還(退去による明渡によつて)を求める部分は原告らにおいて、金九万四千円の支払をなすことを条件として認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条・第九三条に従い、仮執行の宣言は附けぬこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 倉田卓次)

目録

第一長野県下伊那郡川路村字初沢五七八七番地イ号同県同郡同村同字同番ロ号

一、本館 木造トタン葺弐階建壱棟

間口 弐間半 奥行 五間半

附属物 階上 押入弐ケ所、縁付畳拾六枚、障子拾四本、襖八本

階下 襖拾本、障子拾六本、中透障子弐本、取付戸袋壱ケ、袋棚襖弐本、取付戸棚壱ケ、戸棚戸四本

縁付畳拾六枚、戸九本、押入参ケ所、採光障子戸壱本、階段梯子壱ケ、戸間口障子参本、戸袋壱ケ

一、帳場 木造瓦葺弐階建壱棟

間口 弐間半、奥行 四間

附属物 瓦葺庇炊事場

階下 襖五本、採光ガラス戸弐本、取付押入参ケ所、ガラス戸四本、腰高障子壱本、畳六枚、階段梯子壱ケ

階上 押入壱ケ所、襖六本、出入口襖弐本、ガラス戸拾弐本、縁付畳拾六本

一、新館 木造瓦葺平屋建壱棟

間口 四間半 奥行 弐間半

附属物 渡廊下及階段取付、縁付畳七枚半、参間ガラス戸拾参本、開襖壱本、間仕切襖拾六本、出入口帯戸弐本、地袋襖弐本、瓦庇便所壱ケ所、物資壱ケ所

一、浴湯 木造トタン葺平屋建壱棟

間口 四間、奥行 四間半

附属物 採光窓ガラス戸拾弐本、間仕切ガラス戸六本、出入口ガラス戸弐本、番台畳付壱ケ、男女間仕切ダイヤガラス戸参枚、炊口カマ一切、戸締壱式

一、雪院 トタン葺壱棟

第二長野県下伊那郡川路村字初沢

五七八七番イ号

一、宅地 一畝二十八歩

(内第三目録の建物敷地部分を除く。)

同番ハ号

一、宅地 二十五坪

(以上二筆宅地中第一目録の建物敷地部分を除く。)

同番ロ号

一、畑 二十三歩

右同五七八八番

一、畑 二十七歩

右同五七八五番

一、山林 二畝十五歩

第三長野県下伊那郡川路村字初沢五七八七番地イ号家屋番号 四六一ノ二

一、木造亜鉛メツキ鋼板葺平屋建居宅一棟

建坪 十一坪

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